ふじいさん。の日常生活。

【現在更新停止中】【note(loveoverseas39)にて、更新中】ふじいさん。の日常生活での出来事、思ったことを書いていきます。

ふじいさん。について

 

こんにちは。

ふじいさん。です!

 

今回は生い立ちも含めた自己紹介をします!

(noteで投稿した「自己紹介前編・後編」のリライト記事です。

そちらも見たい方はこちら→ふじいさん。 | note)

 

【目次】

 

 

 

簡易プロフィール

1994年生まれ、茨城県出身・在住。

都内の大学に在籍中。現在4年生。

好きなものは、温泉・銭湯、猫

読書(積読気味…)、写真を撮ること、

1人○○(特にヒトカラ)笑。

食べ物の好き嫌い激しい人。

(野菜全般、きのこ類、魚介類NG

白米と肉で生きています。笑

たまにパスタやラーメン。)

 

 

乳幼児期~幼稚園時代(1994年~)

幼いながらも強かな?エピソード(※個人的に) 

母親から聞いた話です。2歳か3歳のとき、アイロンがけをしていた母親が目を離した隙に、アイロンに触ってしまったようです。でも、不思議なことに泣かなかったみたいです。我ながらすごい!笑

その後の母親の対応はちょっと覚えていませんが、まあまずは私の手を冷やしたんじゃないかなあと。 

 

幼稚園に入園してから

幼稚園には3歳から入園しました。年少組からスタートです!忘れ物をしたり、授業中にトイレに行きたくなったりして、抜けてた?ところは多少ありますが、毎日楽しく過ごしていた記憶があります。

年長組のとき、友達とごっこ遊びしていたときに、「私、ケーキ屋さんになるんだ~」と言っていたような記憶があります。

 

写真を多少見たりしましたが、そこそこやんちゃで元気な女の子だったと思います。

 

 

小学校時代(2001年~)

入学しても性格は変わらず

1~3年生のときは、幼稚園のときと変わらず、ほとんどの子と仲良しで、一緒に遊べる人がいないということはありませんでした。。笑い話をあげると、『1年生のとき、ある日のテスト返しで、明らかに私のだけないのに、「私のじゃないです~」と泣きじゃくった』こと、『2年生のとき、ある日の体育の授業で、たぶん記録に嘘をついたから、居残りで縄跳びをやらされた』ことなどがあります。笑

 

同級生と馴染めなくなる

1年生からほぼ変わらないメンバーのはずなのに、4年生になってから、クラスメイトと仲良く接することができなくなっていき、大人しく引っ込み思案な性格になりました。でも、授業中に指されればちゃんと答えたし、先生とは一応会話できるという不思議な仕様です。さらに言えば、家での性格は変わらず、学校にいるときとは正反対!

なので、親にはなかなか話せず、ずっと苦悩していました。

 

本好きになる

少し脱線します。

4年生辺りからそんな性格になったので、特に何も言われない限り、休み時間は図書室にいました。一緒に遊べる友達がいなくて、どう過ごしたらいいかわからなくて…がよく行くようになった動機です。また、学年関係なく生徒がいる図書室が、私の心の拠り所でした。そのときは、マンガの伝記を中心に読んでいました。そのマンガはもちろん、本は私にいろんな人がいることを教えてくれました。

マンガはもともと好きでしたが、活字ばかりの本も好きになりました。

 

 

中学校時代(2007年~)

コンタクトデビューする

なんだかんだちょっと変わりたいと思っていたので、コンタクトデビューしました。主観ですが、メガネをかけた自分より何もかけていない自分の方がかわいいと思っていました。笑 許可してくれた両親には感謝です!!

 

楽しかった1年生

市内の中学校に進学しました。最初はクラスに馴染むことができませんでしたが、絵を描くことが好きだったので、美術部に入部しました。その活動を通して、同学年と仲良くなり、友達ができ、クラスに馴染むことができました。

人生初の彼氏もできました!でも、2年生になる前に別れてしまいました。笑

 

SNSにのめり込む

2年生にあがると、クラス替えで仲良かった子と離れてしまい、話せる子がほとんどおらず、孤立するようになりました。休み時間はひたすら本を読んだり、日直のときはその活動をしたりしていました。また、部活の先輩とはあまり仲良くなく、新しくできた後輩とも馴染めずという理由で、やめてしまいました。

そんな感じなので、自分のことを知らない人と関われるSNSに傾倒していました。そこでは、よく「なりきりチャット通称:なり茶)」をやっていました。空想・妄想が好きだったので。笑 今でも好きですけど、なり茶はやってないです。

 

不登校になる

3年生になると、1年生のときにクラスで仲良かった子と一緒になりましたが、また一緒にいていいのか悩み、結局孤立していました。それで、私の心が限界を迎えたのか、2学期になってから不登校になりました。ほぼ毎日狸寝入りを決め込んで、親の手を焼かせました。同居している祖父には、「学校行け」とたまに言われましたが、親は私を尊重して、無理に行かせようとはしませんでした。すごく感謝!!!

ちなみに、不登校のときもSNSばっかりやっていました。

 

人間関係に悩んだ6年間

小学4年生からの3年間も、中学生のときも、学年があがるにつれ、人間関係がうまくいかないという感じで、いい思い出は少ないです。でも、こんな時代があったから、今の私を形成する一部分になっているのだと思います(本好きになったこととか)。

 

 

高校時代(2010年~)

母校を知ったのは中学校の先生から

中学2年生のときに尊敬している美術の先生が母校をめっちゃ絶賛していたので、できたてほやほやの母校に興味を持ちました。親がアポを取って個人的に学校訪問したり、説明会に参加したりして、いいなと思ったので、入学を決意しました。ちなみに、私は母校の2期生です。

 

なんだかんだ楽しかった

小学校、中学校と、人間関係がうまく構築できなかった私は、高校生活に対して、本当に不安だらけで、でも少し期待していました。

入学前に、合格者だけのプレスクールみたいな課外授業があり、そこで話しかけてくれた女の子を中心に何人かと仲良くなりましたが、その子たちとはクラスが離れました。笑
でも、入学すると早々に、2泊3日のオリエンテーション合宿があり、そのおかげでクラスの人たちと仲良くなることができました。そのなかでも気のあった2人ができて、昼休みはともに過ごすようになりました。

プレスクールで仲良くなったその女の子とひと悶着あったり、その子絡みでその子のクラスでいろいろあったり、2年生にあがったときに仲良くなったあるクラスメイトとの関係性に悩んだりしましたが、ぜんぜん楽しかったんですよね!リアルで追体験したいくらい!
ちなみに、1年生のときに彼氏もできました。その彼とは数か月前に別れましたが。
 
だから、小学校時代・中学校時代のつらさはこのためにあったのかななんて思ってしまいます(大袈裟かな?笑)。本当に楽しかったので、卒業式は泣きそうでした。笑 てか、式後に少し泣きましたけどね。笑

 

海外に興味を持つ

また脱線します。
2年生のときの修学旅行はカナダでした。なんと国外!「感性を磨く」というテーマで(たしか)、オーロラを見るプログラムが組み込まれていたので、オーロラが見れるかもしれないという期待がありました。その反面、英語が話せないとまずいかなというちょっとした不安がありました。その解消のために、修学旅行に行く1ヶ月くらい前から、語学学校に通い始めました。その甲斐があってか、現地の人に話しかけられることがありましたが、なんとか答えられました(※流暢にではない)。
それで、肝心のオーロラはかすかでしたが見れました!それに、日本とは見るものすべてが違い、また語学学校に通ったことに少し意味があったことから、違う国にも行ってみたい(ひとまず英語圏!)と思うようになりました。

 

 

大学時代~現在(2013年~)

浪人生になる

現役で受けた大学がすべて全落ちして(笑)、滑り止めを設定していなかったせいもあると思いますが、浪人生にならざるを得ませんでした。
それで、継続的に勉強できる環境が自分にはあった方がいいと思い、近くの予備校に入ることにしました。入校前の試験でいい成績を取れたからか結構いいコースにいたのですが、怠け心で授業時以外はあまり勉強していない日の方が多く、その慢心のせいで今度は滑り止め以外全落ちしました。笑
また浪人する気もなく、滑り止めでも受かったことは素直に嬉しかったので、そのまま滑り止めに入学することにしました。

 

大学生になってから

課外活動に精を出す

入学した当初は妥協して入ったくせして、どうせ滑り止めだしと内心とげとげしていましたが、新入生用のオリエンテーション合宿でいろんな同学年と知り合えたり、委員会等に入ったりして、楽しい時間が増えたので、入って良かったと思っています。
私が入っていたのは、広報局と卒業アルバム委員会です。どちらも共通して、学内イベントの写真を撮るという活動にあります。写真を撮ることが好きな私にはうってつけだと思い、入部しました。それで、学内イベントのほとんどに、局員もしくは委員として写真を撮りつつ参加していました。笑 ちなみに、広報局は大学の広報課とは無関係です。あと、広報局のほうは他にも活動がありますが、ここでは割愛します。
 
アルバイトは家庭教師を1年、都内の温浴施設で清掃スタッフを1年半やっていました。単発の派遣スタッフもやったことがあります。
ボランティアに興味があって、都内の豊島区で小中学生の学習支援をする団体に参加したり、宿泊型の体験プログラムを中学校に提供している会社のプログラムにスタッフとして参加したり、他大生が集まるインカレに参加したり、オープンキャンパスのスタッフをやったり。。。わりといろいろやりました!笑 どれもいい経験であり思い出です。


海外にそこそこ行った

全部短期の留学ですが、以下の国に行きました。


・1年生のとき、8月にオーストラリア・ケアンズへ1週間。3月にドイツ・フランクフルトへ2週間(この後、スイスとリヒテンシュタインを観光)。
・3年生のとき、8月にフィリピン・セブへ2週間。3月にオーストラリア・シドニーへ3週間。


こんな感じで5国6か所に行ったことがあります。
ちなみに、ドイツに行ったのは、第二外国語として、ドイツ語をとっていて、実際に使ってみたいと思ったからです。あと、ドイツが好きだからです。(※感覚的に好きなだけなので、具体的に何が好きかは答えられません。でも、行ってからは、スーパーマーケット内のフードコートで食べたカリーブルストが美味しかったので、また行きたいです)


現在はというと

しない方向にしていた就職活動を6月中旬から始めてみましたが、7月末でやめました。結構精神が摩耗したのと、急いで決めなくていいかなと思ったからです。しない方向でいた理由は、今年の9月から半年間、ワーキングホリデーに行くからです。ていうか、今、ワーキングホリデーでニュージーランドにいます!笑
 
また、縁あって、わさびさんことふじさわゆうこさんの海外フリーランスの養成スクール(オンラインサロン)に入りました。当初はその生き方に興味を持ったからなんですが、今はその生き方をしてみたい、フリーランサーになりたいと思っています。それが茨の道でも、私は突き進みます。私は自分のキモチを大事にしたい人間なんで!
ちなみに、フリーランスでしたいことは、ライター、webデザイナー、情報のキュレーター(旅行や留学を中心に)です。

 

今の段階ではこの気持ちですが、日々を過ごしていくうちに、変わるかもしれませんし、変わらないかもしれません。でも、一応記しておきます。未来の私が、ここより成長できたなど、感じとれたらいいなと思っているからです!

 


はい!長かったですが、お読み頂きありがとうございました。
気になることがあれば、答えられる範囲でお答えします。

 

 

では!